人生のごった煮

完璧な心の平和

人身事故の話

Twitterで女子高生が線路に飛び込んで自殺する動画を見た。
他人のいいねで回ってきたのであって(いいねしないでほしかったな、ちょっと幻滅しました)見るつもりはなかったが、結局のところ最後まで見て、本当に死んだんだ、と思った。

冷静になって書いているがまだ涙がボロボロ出ている。私は自閉スペクトラム症で共感能力が異様に高いため、共感してしまい苦しいのもあるが他にも理由がある。

自殺配信をした(とみられる)女子高生のTwitterを遡って見た。いじめと父親からの性的虐待を仄めかすツイートが散見された。

私の話をする。少し長くなるかもしれないが読んでくれると嬉しい。
私の家庭は母親がパニック障害鬱病を持っていて幼少期から家庭内で喧嘩が絶えなかったり自分のペットを殺されたりして、実質虐待のようなものを受けて過ごした。学校では発達障害のせいで馴染めず生徒のみならず教師からもいじめを受け、小学六年生のときにはリストカットをしていた。
地元でも有名な中高一貫進学校に入学した。友達はできたものの、それまでに受けた心の傷のせいか些細なことでも自殺未遂を繰り返し精神科に入退院を繰り返した。今でも手首に縫った跡がある。
高校に進学して、更に進学校の圧にやられて辛い日々を送った。いじめられた要因の一つである一重まぶたを整形して二重にしたのもあってクラスメイトからは遠巻きにされ、教室では私だけが一人でお弁当を食べていた。
夏、酔っ払った父親にレイプされかけた。抵抗しなかったらそのままやられていたであろうと思う。
その一週間後、家にいるのも学校にいるのも耐えられなくなって家の金を全部あるだけ盗んで東京に家出した。東京だったら、私を救ってくれる気がした。東京駅前の警察に保護された。そのまま東京の児童相談所に送られ二週間ほど過ごした。児童相談所にいるみんなはわたしより歳下で、私物を全部没収された私は置いてある本をひたすら読んでこれからどうなるんだろうと考えていた。
その後、地元の児童相談所に送られた。東京の児童相談所よりボロくて扱いも雑だった。いろんな子供と会った。ある日突然両親から引き離されたの、早く帰りたい、と言っている女の子がいた。顔に大きな赤い火傷の跡がある幼児がいた。みんな一人でも生きていけるような、どこか大人びたところを持っていた。
私は高校に行けないことやこれからのことに焦りを感じて毎日これからどうなるのか職員に聞いた。一度もちゃんと答えてもらえなかった。
ひたすら、自分の感情を鉛筆でコピー用紙に書いた。紙とペンですら私物化を許されない。夕方になると鉛筆と細かく字を書いたコピー用紙は没収された。
取り調べのようなものを受けた。ペットを殺されたりレイプされかけたり今すぐ死ねと脅されたりしたことを正直に話した。録音機が回る音だけを覚えている。
両親は、全てを否定した。後から聞くにこの子には妄想癖があるんです、と言ったらしい。私の精神疾患には確かにそういう特性を持つものもあるので、妄想ではないと言い張ることしか出来なかった。
二ヶ月ほどで、家に返されることになった。絶望した。死のうと思った。マンションの階段が絞首台の階段のような気がした。
その後も自殺未遂を繰り返したが、去年の五月に飛び降りを決意した。八階からなら確実に死ねると思った。
マンションの八階の手すりによじ登ってしばらく足をぶらぶらさせていた。ひどく風が冷たかったのを覚えている。
特にこれといった衝動やきっかけはなかった。ただ、飛ぼう、と思って飛んだ。
プールに高いところからものを叩き付けたような音がした。身体が動かなかった。車の上に落ちていた。真っ黒な車だったからわからなかったけれど鼻と口からとめどなく出ていたものが血だとあとでわかった。
生きていた。
その後の記憶は曖昧だが、母親がひたすら喚いて父親に縋り付いていて父親が表情ひとつ変えずに「救急車を呼べ」と言っていたことは覚えている。生きていた。そして死ぬかもしれない娘にする顔がそれか、と絶望を通り越したなにかを感じた。
県立大学附属病院に入院した。両親との面会は禁止され、全身を骨折していたので手術などをたくさんした。看護婦のお姉さんたちは一線引いたりせず優しくて、もうなにも考えないようにしていた。
三ヶ月入院して、家に返されることになった。両親は何もなかったかのように接した。なにか諦念のようなものが生まれた。

そして今は向精神薬の力を借りてはいるが、自分の好きなことと受験勉強をしている。両親やいじめてきた同級生は、私がいない世界でも全く変わらずに生きていける。それがわかったら、諦めて生きるしかないんだという気持ちになった。

かなり長くなった。
本題に戻る。
自殺配信をする気持ちはすごくよくわかる。わたしも自分の死を最大限に昇華させすべてに手の届かないところからの復讐ができると思っていた。
でもそんなことはない。人は、いなくなった人のことはどれだけ悲しんでも過去にして生きていける。それどころか、自分を傷つけた人ほど全く何も感じずに忘れて生きていく。復讐になんかならない。社会は非情にも回り続ける。人一人の死で回転が止まることは決してない。一時期騒がれても、やがて過去のたくさんの死人の中に紛れ忘れ去られる。
でも、死ぬしかないときは確実に存在する。逃げる、なんて道は「ない」。文字通りない。逃げればいいよなんて言葉はなんの慰めにもならない。人の声掛けで変わることもない。ただ死ぬしかない。変わりようがない。私は運良く生き残っただけであの瞬間確かに死ぬしか道がなかった。人の非情さは、一回死の淵までたどり着かないと根幹での理解ができない。どうしても情に縋って死ねば後悔してもらえると思ってしまう。そんなことはないのに。
死ぬ間際まで、苦しみ続けたのはどれだけ辛く哀しいことだろうか。最後の意識が無くなる瞬間まで絶望に浸っていた、そんな人生の終わり方ってあるだろうか。
私たちがなにかをしていれば変わっていたなどと言うつもりはない。変えようがなかったと思う。それでも、伝えたい。正直この文が人の目に触れて批判されるのは嫌だし支離滅裂になっているのも自覚している。人の命は尊いものだという言葉は、決して薄っぺらくなんかない。人の命は尊い。自殺に至るまでの絶望を経験していない故に視野が狭くなり死しかなくなることを理解できない人たちにも、どうかこれだけはわかっていて欲しい。人の命は尊いものだ。毎日死んでゆく人々すべてに思いを馳せろと言っているわけではない。ただ、命はそんなに軽い言葉で消費していいものではない。死に至るまでのどれだけの絶望があったか。死んだら何も無くなる。ぷつりと途切れてそこで終わり。幸せになることも不幸になることも天国に行くことも地獄に行くこともない。すべてが消える。だから、私は祈りに意味が無いと思っている。それでも、ただ今はひたすら彼女のために祈りたい。これはただの心を慰めるための自己満足かもしれないけど。

どうかこの文が多くの死にたい人の目に触れて、死すらも諦められるようになりますように。私は生きることを選択したのではなく、死を諦めただけ。生きてればいいことあるよ、なんて言う気はないけれど、むしろ辛いことの方が多いけれど、死はもっと惨めで無意味だから。そして、死にたいあなたに、死なないでほしいと願っている私がいることを忘れないでください。