人生のごった煮

完璧な心の平和

自殺未遂をした話

自殺未遂をしたことがある。

もうすぐ15歳になろうとする中学三年生の夏。

14歳だった私は“15歳の誕生日までに死ぬ”という目標を立て、来るべきその日に備えて着々と準備を進めていた。

そもそもなぜ死にたかったのか。

強いて言うなら“死ぬべきだったから”としか言い様がない。

当時(今もだが)私は強い観念に囚われており、その思考の渦から抜け出すことが出来なかった。

その観念たるものがこうだ。

人は生まれ落ちたその瞬間から価値の凋落が始まり、老いれば老いるほど価値が無くなっていく。よって、若くして死ぬことこそ自身の価値を確立する唯一の方法である。おわり。

周りの大人からは何を突飛な事をと一蹴されたが私にとっては重要な問題であった。この理論に則れば私は今すぐにでも死ぬべきだったからだ。

その頃の私はかなり成績が良かった。日頃の勉強の成果が出るテストではともかく模試などの実力問題では常に上位1桁をキープしていた。

そのことも私の希死念慮に拍車をかけた。

以前このブログにも書いたが私は本当に勉強というものをしたことがない。

成績の良さも所詮は紛い物、これから本格的に周りが勉学に励むようになれば私ごときあっという間に追い抜かれてしまうだろう。

その前に“成績が良い子供”という理想像を作って死にたかったのだ。

ここまで説明してもなかなか理解してもらえないことが多い。別に成績が悪くとも容姿が衰えようとも生きていればそれでいいじゃないか、と何度言われたことか。

私は自分のことが大切ではない。

正しくは全てがどうでもいいのだ。
自分の命がどうなろうが別に知ったことではない。
何も為さないまま生きるよりは、今死んだ方がいい。ただそれだけだ。

もともと執着心が薄い子供だったと言われている。三つ子の魂百までと言うが、実際その気質は変わらないようでこの年頃になっても何かに執着するということは無かった。

子供の頃ご褒美に何をあげます、罰として何を取り上げますと言われても一切頓着しなかった。

何か貰えるならありがたくいただき、取り上げられるのならそうですかと従う。何が貰えようとどうでもよかった。

その執着心の薄さが仇になり自分の命を捨てていいという思考に走ってしまった。なんともけったいな話である。

それに加え家庭環境がかなり悪かったというのもある。正直生きることに辟易していたのだ。

自殺にトライ!

〜あらすじ〜死ぬことにした。

やはりスタンダード且つ手っ取り早いのは首吊りだろう。

しかしその当時の私はリストカットにハマっていたこともあり手首を切ることによる失血死を狙った。

首吊りは足が地から離れたあとパニックに陥りそうだったというのもある。

その点リストカットは安心。睡眠薬を飲んでいればそれほど怖くないし、何より死ぬ前に眠りに落ちることが出来る。

睡眠薬の過剰摂取も考えたが、私が飲んでいるものでは死にまで至れないようだったので諦めた。

死ぬ前に軽い身辺整理のようなものをしようと思った。

と言っても私の私物は本と洋服、化粧品にあとは落書きの山くらいで大したものは無い。

落書きの山が死んだあと見つかると恥ずかしいな、とは思ったがどうせ死んでいるのだし関係ない。実の所生きていても別にどうでもいいかもしれない。

遺書を書いた。簡潔に、身辺の物をどうしてほしいか、と謝罪の言葉。私を殺した遠因は親にあるのだから謝罪は要らないかと思ったが流石に良心が咎めた。

死ぬ前にやりたいことはないか考えた。特に何も思いつかなかった。読みたい本も見たい映画もあったが、どうせ死ぬのならどうでもいい気がした。

1人、殺したい人間がいた。
小学六年生の時の担任で、私はその一年で人格を歪められた。
クラス全員と担任からのいじめ、暴力、としか今は言えない。まだあの地獄のような一年に何があったかは語れない。

近所のお祭りにその担任が来るかもしれないと思い、金槌を用意した。しかしもうこの近辺には住んでいなかったようで、会うことは無かった。

もしその担任がまだこちらに住んでいて私と鉢合わせたなら、私は今こうして文章を書くことは出来ていないだろう。そこは神に感謝している。

そうして殺人も未遂に終わり、誕生日である9月2日を前にリストカットによる自殺をすることにした。

リストカットって痛くないの?とよく聞かれるが、痛い。普通に痛い。

(ここで書き疲れてツイッターとなろうのBLを見ていたので文章のテンションがここから変わる可能性あり)

まず肉を切るのだ。痛いに決まっている。

だが眠剤が入っていると目の前の光景がどこか遠くのことのように思えるのだ。

そうして眠剤の力を借り、カッターナイフを腕に食い込ませ思い切り横に引いた。すぐ用意したボウルに張った水に手首を浸し、血が流れるに任せる。

このまま死ぬのかな、とどくどく止まらない血を見ながら思った。特に感慨もなかった。

だがしかし、だ。数十分して様子が変わってくる。血が流れていることに変わりはないのだが、流れる量が明らかに少なくなっている。

焦った。

ここで失敗してしまうと流石に弁明のしようもない。確実に成功させなければ。

嫌々若干閉じかけている傷口をこじ開けもう一度刃を当て、強く引く。

痛いというよりも気持ち悪かった。痺れた足を触っているような、自分の体なのに自分の体でないような心地。

しかしそのおかげで血が吹き出した。吹き出す血の合間に自分の肉の組織が見えてうええ、と思ったことを覚えている。

それからのことはよく覚えていない。

気づいたら精神病院に入っていて、あー学校休んじゃったなとか断片的な考えは思い出せるのになぜ、いつそこに来て何がどうなったかなどは思い出せない。
お医者さんと話をした気がする。
気づいたら15歳になっていて、いつ運んだのか、私が運んだのか教科書類が病室に持ち込まれていた。

一つだけ覚えている。

最初に、たぶん死に損ねて目が覚めたとき、血塗れになったボウルを見て、母が一言目に言ったのだ。「私の仕事道具を汚したな」と。

人生に救いはない。人はどこまでも一人きりで、自力で助かるしかない。

私にとっての救いは死だ。

ただそれだけ。

ただ、昔と違うのは今はもう自殺したいという気持ちが無くなっているということだ。

確かに死は救いで、若くして死ぬことこそ至上だが、自身でそれを試みようとはもう思わない。

全てはただ運命の導くままに。
ただ生き、その時が来たら死ぬまでだ。

せめてその最期の時が来るまでは必死に生きてみるのもいいかもしれないと思った。