人生のごった煮

完璧な心の平和

人身事故の話

Twitterで女子高生が線路に飛び込んで自殺する動画を見た。
他人のいいねで回ってきたのであって(いいねしないでほしかったな、ちょっと幻滅しました)見るつもりはなかったが、結局のところ最後まで見て、本当に死んだんだ、と思った。

冷静になって書いているがまだ涙がボロボロ出ている。私は自閉スペクトラム症で共感能力が異様に高いため、共感してしまい苦しいのもあるが他にも理由がある。

自殺配信をした(とみられる)女子高生のTwitterを遡って見た。いじめと父親からの性的虐待を仄めかすツイートが散見された。

私の話をする。少し長くなるかもしれないが読んでくれると嬉しい。
私の家庭は母親がパニック障害鬱病を持っていて幼少期から家庭内で喧嘩が絶えなかったり自分のペットを殺されたりして、実質虐待のようなものを受けて過ごした。学校では発達障害のせいで馴染めず生徒のみならず教師からもいじめを受け、小学六年生のときにはリストカットをしていた。
地元でも有名な中高一貫進学校に入学した。友達はできたものの、それまでに受けた心の傷のせいか些細なことでも自殺未遂を繰り返し精神科に入退院を繰り返した。今でも手首に縫った跡がある。
高校に進学して、更に進学校の圧にやられて辛い日々を送った。いじめられた要因の一つである一重まぶたを整形して二重にしたのもあってクラスメイトからは遠巻きにされ、教室では私だけが一人でお弁当を食べていた。
夏、酔っ払った父親にレイプされかけた。抵抗しなかったらそのままやられていたであろうと思う。
その一週間後、家にいるのも学校にいるのも耐えられなくなって家の金を全部あるだけ盗んで東京に家出した。東京だったら、私を救ってくれる気がした。東京駅前の警察に保護された。そのまま東京の児童相談所に送られ二週間ほど過ごした。児童相談所にいるみんなはわたしより歳下で、私物を全部没収された私は置いてある本をひたすら読んでこれからどうなるんだろうと考えていた。
その後、地元の児童相談所に送られた。東京の児童相談所よりボロくて扱いも雑だった。いろんな子供と会った。ある日突然両親から引き離されたの、早く帰りたい、と言っている女の子がいた。顔に大きな赤い火傷の跡がある幼児がいた。みんな一人でも生きていけるような、どこか大人びたところを持っていた。
私は高校に行けないことやこれからのことに焦りを感じて毎日これからどうなるのか職員に聞いた。一度もちゃんと答えてもらえなかった。
ひたすら、自分の感情を鉛筆でコピー用紙に書いた。紙とペンですら私物化を許されない。夕方になると鉛筆と細かく字を書いたコピー用紙は没収された。
取り調べのようなものを受けた。ペットを殺されたりレイプされかけたり今すぐ死ねと脅されたりしたことを正直に話した。録音機が回る音だけを覚えている。
両親は、全てを否定した。後から聞くにこの子には妄想癖があるんです、と言ったらしい。私の精神疾患には確かにそういう特性を持つものもあるので、妄想ではないと言い張ることしか出来なかった。
二ヶ月ほどで、家に返されることになった。絶望した。死のうと思った。マンションの階段が絞首台の階段のような気がした。
その後も自殺未遂を繰り返したが、去年の五月に飛び降りを決意した。八階からなら確実に死ねると思った。
マンションの八階の手すりによじ登ってしばらく足をぶらぶらさせていた。ひどく風が冷たかったのを覚えている。
特にこれといった衝動やきっかけはなかった。ただ、飛ぼう、と思って飛んだ。
プールに高いところからものを叩き付けたような音がした。身体が動かなかった。車の上に落ちていた。真っ黒な車だったからわからなかったけれど鼻と口からとめどなく出ていたものが血だとあとでわかった。
生きていた。
その後の記憶は曖昧だが、母親がひたすら喚いて父親に縋り付いていて父親が表情ひとつ変えずに「救急車を呼べ」と言っていたことは覚えている。生きていた。そして死ぬかもしれない娘にする顔がそれか、と絶望を通り越したなにかを感じた。
県立大学附属病院に入院した。両親との面会は禁止され、全身を骨折していたので手術などをたくさんした。看護婦のお姉さんたちは一線引いたりせず優しくて、もうなにも考えないようにしていた。
三ヶ月入院して、家に返されることになった。両親は何もなかったかのように接した。なにか諦念のようなものが生まれた。

そして今は向精神薬の力を借りてはいるが、自分の好きなことと受験勉強をしている。両親やいじめてきた同級生は、私がいない世界でも全く変わらずに生きていける。それがわかったら、諦めて生きるしかないんだという気持ちになった。

かなり長くなった。
本題に戻る。
自殺配信をする気持ちはすごくよくわかる。わたしも自分の死を最大限に昇華させすべてに手の届かないところからの復讐ができると思っていた。
でもそんなことはない。人は、いなくなった人のことはどれだけ悲しんでも過去にして生きていける。それどころか、自分を傷つけた人ほど全く何も感じずに忘れて生きていく。復讐になんかならない。社会は非情にも回り続ける。人一人の死で回転が止まることは決してない。一時期騒がれても、やがて過去のたくさんの死人の中に紛れ忘れ去られる。
でも、死ぬしかないときは確実に存在する。逃げる、なんて道は「ない」。文字通りない。逃げればいいよなんて言葉はなんの慰めにもならない。人の声掛けで変わることもない。ただ死ぬしかない。変わりようがない。私は運良く生き残っただけであの瞬間確かに死ぬしか道がなかった。人の非情さは、一回死の淵までたどり着かないと根幹での理解ができない。どうしても情に縋って死ねば後悔してもらえると思ってしまう。そんなことはないのに。
死ぬ間際まで、苦しみ続けたのはどれだけ辛く哀しいことだろうか。最後の意識が無くなる瞬間まで絶望に浸っていた、そんな人生の終わり方ってあるだろうか。
私たちがなにかをしていれば変わっていたなどと言うつもりはない。変えようがなかったと思う。それでも、伝えたい。正直この文が人の目に触れて批判されるのは嫌だし支離滅裂になっているのも自覚している。人の命は尊いものだという言葉は、決して薄っぺらくなんかない。人の命は尊い。自殺に至るまでの絶望を経験していない故に視野が狭くなり死しかなくなることを理解できない人たちにも、どうかこれだけはわかっていて欲しい。人の命は尊いものだ。毎日死んでゆく人々すべてに思いを馳せろと言っているわけではない。ただ、命はそんなに軽い言葉で消費していいものではない。死に至るまでのどれだけの絶望があったか。死んだら何も無くなる。ぷつりと途切れてそこで終わり。幸せになることも不幸になることも天国に行くことも地獄に行くこともない。すべてが消える。だから、私は祈りに意味が無いと思っている。それでも、ただ今はひたすら彼女のために祈りたい。これはただの心を慰めるための自己満足かもしれないけど。

どうかこの文が多くの死にたい人の目に触れて、死すらも諦められるようになりますように。私は生きることを選択したのではなく、死を諦めただけ。生きてればいいことあるよ、なんて言う気はないけれど、むしろ辛いことの方が多いけれど、死はもっと惨めで無意味だから。そして、死にたいあなたに、死なないでほしいと願っている私がいることを忘れないでください。

近況報告

無事休学することができたので、単位取得のための課題を家でやりながら日々過ごしている。

その間嫌なことがいっぱいあったし7万盗難の罪を父親に擦り付けられたりしたけど嫌なことを書くと嫌な気分になるので書かない。

今回の話題。
主治医に紹介された不登校者や社会不適合者のサークルに顔を出した。
私のプライドはクソクソクソ高いので紹介されたときはこのわたくしが?!?!そのような下賎な場所へと?!?!とキレ散らかし(内心)、サークラになってやろうと決意したものの実際行ってみると逆にこちらがすごんでしまった。

不適合者たちは自分が適合できる場所では恐るべき力を発揮する。

田舎だというのに絵描きサークルを作り同人誌を出し、平日にはカフェを出店。集まるものたちも中卒がほとんどだがハイスペック集団で個々が輝いていた。

ここで加筆しておくと、このサークルは十代後半〜四十代と割と年代が高い。
そのおかげでチヤホヤされた。
若いっていいなあ。

絵描きサークルには絵師が一人しかおらず(絵描きサークルなのに?)描き手になってくれと必死に勧誘された。
絵を描くのは好きだが本出すレベルでは到底ないと思っているので辞退したが、他人からの助力嘆願はちょっと嬉しかった。
絵描きが一番怖いのは自分より絵が上手い年下である。
私は中学生の頃美術部にも所属していたが、『絵が上手い年下』問題で数々の部員が辞めていった。
この絵描きサークルの絵師も私よりは下手だったのでサークラにならずに済んだという意味でも辞退して良かったと思う。

ドルオタのおっちゃんはサークルに毎日顔を出すメンバーの一人だ。
何して生きてんだろうと思うが怖いので聞かない。
「乃木坂の○○(名前は忘れた)に似てるって言われたことない?」
と聞かれハイハイハイハイ大勝利!!!と心の中で快哉を叫んだ。
その○○さんがいくら乃木坂の中でブスだろうと『アイドル』という売り物になる顔に近いと言われたのが嬉しかった。
顔は整形してるだけあって褒められると嬉しいのである。努力が認められた気がして。

同い年で通信制高校に通ってる男の子とも話をした。
なろう講座で小説の書き方を受講して友達と電撃大賞に応募するのだと言っていた。
私もなろう小説でものを書いてちょこっと評価を得たけれど、この年で応募するのか〜バイタリティ強〜と感嘆した。
大抵の人はそうやってつつがなく人生を進めているのだろうが私にはそれができない。
何もしなくていいなら何もしたくない。
来世は苔むす石とかがいい。

ところで学校からの課題。
これがまたクソクソクソ多く、普通に登校してる人間の分より多いんじゃないか?というくらい多い。
やる気がない上薬が効いてて(メイラックス)(私は副作用がとても出やすい体質なのである)めちゃくちゃ眠い。
なので一向に課題が捗らず、このまま一年生二回目チャレンジか?とも考えている。
だが私の年から大学受験が変わるのでできるだけ留年は避けたい。
新入試は二年目以降難しくなるであろうしここが踏ん張りどころだ。
留年なんて〜、朔間兄弟みたいジャン♪と言っていた過去の自分を殴りたい。

不適合者サークルが案外楽しくそっちにうつつを抜かしてしまいそうになるが課題をやり、課題をやることで単位を取る。
言霊というものを信じている訳ではないが書けばなにか変わる気がする。


オチなんてありませんよ。
もう落ちたでしょう?

千石撫子ちゃんを目指すひるのつきちゃんの近況報告でした。

独善的でありたい

あけましておめでとうございます。


12月30日くらいから帰省することに対しての猛烈な嫌悪感が生じメンタルが死んでいた。

12月31日、紅白をTwitterで実況することでTwitter大好き♪フォロワー最高♪と楽しくなっていたが、年が明け就寝しようとするとレイプ魔が同じ屋根の下にいることに対することへの恐怖で眠れなくなった。(ここで変換を間違えレイプ魔が親父〜と出たがあながち間違っていないものだから笑えない)
母親に泣きつき父親からされた性的行為を少し話してしまった気がする。
眠剤が入っていたのでどれほど話したのか覚えていない。
母親がそれに対してどういう反応をしたのかも覚えていない。
翌朝、母親は何事も無かったかのようにあけましておめでとうと言い、私はその態度に恐怖した。

父親から性的行為をされたという話は、してしまうと母親の精神と家庭が崩壊してしまう気がして今までずっと出来なかった。言いたくても口が開かなかった。

母親は何を思っているのだろう。
わからない。わからないから怖い。


1月1日。
親戚回りをするもののすぐ具合が悪くなった。
元々発達障害の性質で身の回り全ての情報量が同じ濃度で入ってくるところがあり、何も理解出来ない聖徳太子状態になっていたのだ。
全部聞こえてるけど処理しきれない。
結局祝いの席を後に病院に戻った。
病院に戻ると嘘のように元気になった。
私の居場所はここだな、と思った。


1月2日。
何の気の迷いか幻想小説を書く片手間に書いていた勇者×魔王BLをなろうに上げた。
それなりに反応はあったものの、上ばかり見てしまい結局更に落ち込むこととなった。
元々知名度もゼロで全くの初心者なのにそれなりに評価されたことを喜ぶべきだが、いかんせんマイナス思考が強すぎた。

1月3日。
2日の夜に親戚回りを達成出来なかったことと小説に対する反応で鬱になり眠れず、3日は丸ごと寝込んでいた。

1月4日、今日。
あっという間に三が日が終わった。
自分でも驚くほど鬱々としていて、友達やフォロワーは驚くほど優しくて、優しいからこそ躁状態になれないのがもどかしい。
無理矢理に明日カラオケに行く予定を立てたものの、自分で計画しておいてゲロ吐きそうになっている。



独善的でありたい。



心が柔い私は、他人と心を共有しないということでしか自分を守れない。
他人に心を許すことで傷つくことを防ぐためには、他人に心を許さないことが一番だ。というかそれしかない。
私も人を頼りたいし人に助けられたいけれど、そうしてしまうと人が心の中に入り込んでしまう。
柔らかな心の内側に、人を許してしまう。
内側が傷つくと、なかなか戻れない。
よって傷つかないためには人を閉め出すほかなく、人を閉め出すと自力で歩いていかなければならない。
随分抽象的な表現になってしまった。
私の頭の中を整理するためだけの雑記なので許して欲しい。

独善的でありたいというよりは、独善的であるしかない。
人に何かを許してしまうと自分が壊れるから。

独善的であるためには、ある程度の基盤となる力が必要だ。
才能でも容姿でも性格でも、何かしらの強い基盤があれば独りでもやっていける。

私にはそれがない。

絵はそこそこ上手い。写実が得意。でもそれに縋って生きていけるほどではない。
文はわからないが作文関連でよく賞を取っていた。それに縋って生きていけるほどではない。
容姿は人からちょくちょく褒められるくらいには可愛い。縋っては生きていけない。

贅沢すぎる悩みだが全部そこそこしか出来ない。
他の何かが駄目でも追随を許さないほど優れたものがない。

たぶんそれは人間として当たり前のことなんだろう。

でもそれが私にとってはとてつもない問題なのだ。

せめて、何もかも駄目でも、何か一つだけ、何か一つだけあったら。

そしたら私は完璧に独善的な人間としてやっていける。
そんな気がする。

随分思考が凝り固まっている自覚はある。
まず完璧に独善的な人間なんて存在しえないのに。
何かに裏打ちされていない自信などない。
どれだけ自信があるような人でも綻びはあるし、何か裏となる基盤がある。

それでも、私を殴り、性的行為を加える親と縁を切って生きていくためには、独善的でなければやっていけない。

私には何がある?
絶対的なものが、見つからない。
絵を諦め文を試したりしても無駄だった。
そもそも絶対的なものなんて存在しえないのかもしれない。
そしたら私は、どうやって生きていけばいいのだろうか。
人を頼れるほど心は強くない。
親と共存していけるほど阿呆でもない。

独りで生きていきたいのに、頼れる自分自身が存在しない。


そうこうしているうちにも新学期が月曜から始まってしまうし、私は学校に居場所がないし、教室に入れない。

ずっと入院しているわけにもいかないし、今度入院が長引いたら絶対に大学には行けないし、地獄のような家に戻らなければならない。

家にいるだけで冷や汗が出て眠れなくなるのに、そこから学校に通うとなると精神が崩壊する気しかしない。

何があっても自分は自分、と割り切れる自分自身が存在しないからこんなにも辛い。

これから先人生どうなるんだろうか。
何もわからない。

それでも、私を認知してくれている人々がいるから何とか保っているのだと思う。
Twitter、ブログ、なろうで私を認知してくれている人達に感謝を。

なんとか生きていくしかない。

自殺未遂をした話

自殺未遂をしたことがある。

もうすぐ15歳になろうとする中学三年生の夏。

14歳だった私は“15歳の誕生日までに死ぬ”という目標を立て、来るべきその日に備えて着々と準備を進めていた。

そもそもなぜ死にたかったのか。

強いて言うなら“死ぬべきだったから”としか言い様がない。

当時(今もだが)私は強い観念に囚われており、その思考の渦から抜け出すことが出来なかった。

その観念たるものがこうだ。

人は生まれ落ちたその瞬間から価値の凋落が始まり、老いれば老いるほど価値が無くなっていく。よって、若くして死ぬことこそ自身の価値を確立する唯一の方法である。おわり。

周りの大人からは何を突飛な事をと一蹴されたが私にとっては重要な問題であった。この理論に則れば私は今すぐにでも死ぬべきだったからだ。

その頃の私はかなり成績が良かった。日頃の勉強の成果が出るテストではともかく模試などの実力問題では常に上位1桁をキープしていた。

そのことも私の希死念慮に拍車をかけた。

以前このブログにも書いたが私は本当に勉強というものをしたことがない。

成績の良さも所詮は紛い物、これから本格的に周りが勉学に励むようになれば私ごときあっという間に追い抜かれてしまうだろう。

その前に“成績が良い子供”という理想像を作って死にたかったのだ。

ここまで説明してもなかなか理解してもらえないことが多い。別に成績が悪くとも容姿が衰えようとも生きていればそれでいいじゃないか、と何度言われたことか。

私は自分のことが大切ではない。

正しくは全てがどうでもいいのだ。
自分の命がどうなろうが別に知ったことではない。
何も為さないまま生きるよりは、今死んだ方がいい。ただそれだけだ。

もともと執着心が薄い子供だったと言われている。三つ子の魂百までと言うが、実際その気質は変わらないようでこの年頃になっても何かに執着するということは無かった。

子供の頃ご褒美に何をあげます、罰として何を取り上げますと言われても一切頓着しなかった。

何か貰えるならありがたくいただき、取り上げられるのならそうですかと従う。何が貰えようとどうでもよかった。

その執着心の薄さが仇になり自分の命を捨てていいという思考に走ってしまった。なんともけったいな話である。

それに加え家庭環境がかなり悪かったというのもある。正直生きることに辟易していたのだ。

自殺にトライ!

〜あらすじ〜死ぬことにした。

やはりスタンダード且つ手っ取り早いのは首吊りだろう。

しかしその当時の私はリストカットにハマっていたこともあり手首を切ることによる失血死を狙った。

首吊りは足が地から離れたあとパニックに陥りそうだったというのもある。

その点リストカットは安心。睡眠薬を飲んでいればそれほど怖くないし、何より死ぬ前に眠りに落ちることが出来る。

睡眠薬の過剰摂取も考えたが、私が飲んでいるものでは死にまで至れないようだったので諦めた。

死ぬ前に軽い身辺整理のようなものをしようと思った。

と言っても私の私物は本と洋服、化粧品にあとは落書きの山くらいで大したものは無い。

落書きの山が死んだあと見つかると恥ずかしいな、とは思ったがどうせ死んでいるのだし関係ない。実の所生きていても別にどうでもいいかもしれない。

遺書を書いた。簡潔に、身辺の物をどうしてほしいか、と謝罪の言葉。私を殺した遠因は親にあるのだから謝罪は要らないかと思ったが流石に良心が咎めた。

死ぬ前にやりたいことはないか考えた。特に何も思いつかなかった。読みたい本も見たい映画もあったが、どうせ死ぬのならどうでもいい気がした。

1人、殺したい人間がいた。
小学六年生の時の担任で、私はその一年で人格を歪められた。
クラス全員と担任からのいじめ、暴力、としか今は言えない。まだあの地獄のような一年に何があったかは語れない。

近所のお祭りにその担任が来るかもしれないと思い、金槌を用意した。しかしもうこの近辺には住んでいなかったようで、会うことは無かった。

もしその担任がまだこちらに住んでいて私と鉢合わせたなら、私は今こうして文章を書くことは出来ていないだろう。そこは神に感謝している。

そうして殺人も未遂に終わり、誕生日である9月2日を前にリストカットによる自殺をすることにした。

リストカットって痛くないの?とよく聞かれるが、痛い。普通に痛い。

(ここで書き疲れてツイッターとなろうのBLを見ていたので文章のテンションがここから変わる可能性あり)

まず肉を切るのだ。痛いに決まっている。

だが眠剤が入っていると目の前の光景がどこか遠くのことのように思えるのだ。

そうして眠剤の力を借り、カッターナイフを腕に食い込ませ思い切り横に引いた。すぐ用意したボウルに張った水に手首を浸し、血が流れるに任せる。

このまま死ぬのかな、とどくどく止まらない血を見ながら思った。特に感慨もなかった。

だがしかし、だ。数十分して様子が変わってくる。血が流れていることに変わりはないのだが、流れる量が明らかに少なくなっている。

焦った。

ここで失敗してしまうと流石に弁明のしようもない。確実に成功させなければ。

嫌々若干閉じかけている傷口をこじ開けもう一度刃を当て、強く引く。

痛いというよりも気持ち悪かった。痺れた足を触っているような、自分の体なのに自分の体でないような心地。

しかしそのおかげで血が吹き出した。吹き出す血の合間に自分の肉の組織が見えてうええ、と思ったことを覚えている。

それからのことはよく覚えていない。

気づいたら精神病院に入っていて、あー学校休んじゃったなとか断片的な考えは思い出せるのになぜ、いつそこに来て何がどうなったかなどは思い出せない。
お医者さんと話をした気がする。
気づいたら15歳になっていて、いつ運んだのか、私が運んだのか教科書類が病室に持ち込まれていた。

一つだけ覚えている。

最初に、たぶん死に損ねて目が覚めたとき、血塗れになったボウルを見て、母が一言目に言ったのだ。「私の仕事道具を汚したな」と。

人生に救いはない。人はどこまでも一人きりで、自力で助かるしかない。

私にとっての救いは死だ。

ただそれだけ。

ただ、昔と違うのは今はもう自殺したいという気持ちが無くなっているということだ。

確かに死は救いで、若くして死ぬことこそ至上だが、自身でそれを試みようとはもう思わない。

全てはただ運命の導くままに。
ただ生き、その時が来たら死ぬまでだ。

せめてその最期の時が来るまでは必死に生きてみるのもいいかもしれないと思った。

日記/11/12

みなさん、元気ですか〜〜〜?!?!?!?!

右から元気!元気!元気!1個飛ばして元気!

みんな元気ですね〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!

私はめちゃくちゃ元気じゃないです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


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理由は不明ですが胃腸が死にに死んでいて、ゲボ山吐き蔵になっています。

ゲボ山吐き蔵とはオタウエさん発祥(諸説あり)の造語です。
使い勝手がいいのでよく心の中で使っています。

月曜日であり当たり前のように学校があるので学校に行こうと思ったんですが、何故か起きたら胃液の中に浸かっていたのでこれはだめだなとなってしまいました。

学校休んでたのちたのち♪していたせいで単位がヤバいのですが、さらに追い打ちをかけられてウケています。進級できるかなあ……???

そういうわけで今日ほぼ一日便器と熱い抱擁を交わしていて、ようやく薬が貰えたので今に至ります。

ところで私は辛くなるのに比例して下着がエロくなるんですが(今黒の総レースです)みなさんはどうですか?私だけですか??みなさんって誰なんですか???私は誰ですか????

ただでさえ胃腸が死んでいるのに昼食に天ぷらが出たので死ねということだと解釈しました。もう駄目です。

土曜日に縮毛矯正をかけにいったんですが担当美容師が新人だったため縮毛が矯正されることもなくただ一万円が溶けました。これは日記ですよね?なんで一昨日のこと書くんですか?
あと出された雑誌がan・anだったのでほう。と思いました。

話の筋を正しますが突然の胃腸の死を受け入れられずにいます。
日曜日、人とカフェで話をする機会があり、イケるやろwww(陰キャ特有・謎・自信)とパフェを頼んだら普通にイケなくてカフェのトイレで吐きました。なんで今日の日記に昨日のこと書くんですか?

自分の胃の限界を把握できていないので軽率に物を食って吐いています。

単位・ヤバな上に精神・ヤバ、そこに胃腸・ヤバが加わり全てが崩壊しました。
まず学校休んでこんな長文書いてることがヤバではありませんか?はい………………

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ツイッターが親と主治医にバレてる上に愛する女もフォロワーに加わったのでもうツイッター上で親の悪口とBLの話しかできません。助けて

知性のNASAから社会的JAXAになることが決定しているので扶養に入りたいんですが、人間性から絶対に結婚出来なさそうなんですよね。詰んでるなあ。
三十路で金がある男なら誰でもいいです。
とりあえず扶養に入る手っ取り早い道としてかわいくなるため整形しようかと思ったんですが整形してどうにかなる顔でもないんですよ。どうしましょう?人に聞くな

最近昔のことをよく思い出します。死ぬのかな。
小学校の頃の担任ガチャがひたすらドブだったこととか。小三の時の担任は緑のカラコン入れてましたね。キモ
小四のときの担任は体罰で更迭されました。密告したの私なんですけど……

まあこのように緩やかな走馬灯を見て、とにかく人生いいこと無かったしこれからも無さそうだなあというのが所感です。
初恋の人にいじめられ性的なトラウマもあるしまともな恋愛もできる気しねえ。

他にもいっぱい書きたいことがあるんですけど忍たま乱太郎の新シーズンが始まるので書くのやめます。山田利吉さんが出るかもしれないので……

みんな、月曜日頑張ったんだね…偉…Kiss…


私で決まったらしいよ〜どうしよう?!

日記/11/3

人生が詰んでいる。


これまでの人生も割と詰んできたし逆に詰んでないときは無かったような気もするが今回は特にひどい。


私は生来のいじめられ力みたいなものがあり、所構わずいじめ倒されてきたのだが高校に入っても案の定いじめられた。
高校生なので露骨ないじめというわけではないが陰口などは酷い。
これは私が精神をちょくちょく病みちょくちょく保健室でサボっていることに起因する。
自分でもどうかと思う。


まあそれでどうなったかと言えば、学校に行けなくなったのだ。
学校に行けないという悩みは近年よく聞かれるが、高校で不登校となると事情が変わってくる。
小中学校と違い、高校は留年制度が存在する。行けなければずっと同じ学年に留まることになる。
私は大学進学を望んでいるが、この状況では手の付けようがない。
まず学校に行けないのだから受験勉強どころではない。
家はとにかく金がないので浪人も出来ない。


詰んでいる。


また、いま私は精神病院に突っ込まれているのだが(なぜなら家にいるとすぐ酒を飲み手首を切るため。厄介なメンヘラである)退院の目処が立たない。
それにはいくつか理由があるがそのひとつが両親との不仲だ。
私の両親は私のことを愛してくれているとは思うが、愛の形が違うのだろうか、とにかく上手くいった試しがない。
私の幼少期のトラウマはほぼ両親により植え付けられたもので、ヒステリックな母親と性的ないたずらを仕掛けてくる父親は私を疲弊させた。
ちなみに父親にされたということを言えるようになったのはここ最近である。
決して母親の目の届かないところで行われたそれらのことは、訴えたとて信じてもらえないだろう。
そういう経緯があり家に帰るのがかなりきついのだ。
家にいるだけで動けないほど疲れ果ててしまう。
しかしいつかは退院しなければならない。
使える金にも限度がある。


かなり詰んでいる。


どうすればいいんだろうか。
こうやって文字に起こせば何か変わるかと思ったが特に変わることもなく、自分がどれだけ詰んでいるか実感できただけだった。
とにかく金がないのが問題である。
転学するにしても入院を続けるにしても金がいる。
そして家には金がない。
父親のギャンブル依存症のせいか所得が少ないのかは私は知りようがないがとにかく金がない。
金がないのに高ぇもんを買う。
貧乏人は金がないというよりは金の使い方が下手なのだ。
後先考えず高いものを買って後々頭を抱えることとなる。
そしてうちの家族は全員金の使い方がど下手くそだ。


もう駄目だよ本当どうしてこうなった???(どうしてなんでしょう……)
いじめられたおかげでトラウマが再発して眠れなくなり眠れなくなったら薬が増え薬が増えたら一日中眠いしそんな状態じゃ学校どころじゃない。
最近の救いはヒプノシスマイクを鼻から吸うことと小説家になろうでBL小説を眺めること。
最初はものすごい抵抗があったが素人が書く文章を読むと(失礼だぞ!)なんだか“赦された”ような気持ちになり、良い。
ここら辺の文章は完全に自分の脳内言語になっているので読み飛ばしてください。


眠剤が抜けないと眠い、眠いと脈絡ある文章が書けない。
日記とは本来脈絡などないものなのかもしれないが……


ところで皆さんは自分の顔、好きですか?
私は本当に嫌いなんだよね。
父親に似ているというのもあり、嫌いすぎて埋没までした。
すると幸か不幸か顔かわいいねーとたまに、いやよく言われるようになりそうかそうか私の今の顔はかわいいのかと少し天狗になったりもした。
でも独りで鏡を眺めるとやっぱりかわいいとは縁遠く、刻一刻と憎悪が募る。
ものをはっきり言う人からは「絶世の美女とまでは言わないけれど、それなりに綺麗な顔」との評価を受けたのでそうなんでしょうが、嫌いなものは嫌いなのだ。
自立して(いつになるかはわからん)ある程度の稼ぎが出たらゴリッゴリに整形してやろうと思っている。


脈絡がないよ〜〜〜!!!!!


もうどうやって文章を書いていたか忘れてしまった。助けて……


とにかく自意識がヤバいので性暴力を受けましたと言っても「え?その顔で?笑」と言われるのが怖すぎて言い出せない。もう駄目だよ。
顔へのコンプレックスと到底信じてもらえないだろう過去のトラウマ。もう駄目です。


皆さんは幸せな人生を、有意義でなんの疑いもない人生を歩んでくださいね。
幸せに、幸せになってくれ。


おやすみなさい。

最近の読書録〜麦の海に沈む果実を読んでくれ〜

ペンで文字を書くのが苦手だ。

前のブログで書いたように精神病院にぶち込まれている。(ちなみに私は前回のブログを書いた記憶は無いのだが、一度あげたものを撤回するのもなんなので掲載したままだ。恥ずかしい)

精神病院の立地が悪いのか、あまり通信状況が良くない。なので必然的に文字を書くには紙にペンを走らせる必要が出てくる。

手書きは、思考のスピードと書くのに必要な時間が一致しない。いや、一致しないと思うのはフリック入力に慣れすぎたためか。
スマートフォンという便利な機器が登場してからというものの、もっぱらメモ帳機能にフリック入力で文字を打ち込んでいくばかりだ。
予測変換という便利な代物も相まって、漢字を調べる手間も省けてしまう。

白紙に向かってペンを構えていると、思考がとめどなく浮かんできて、それを紙に書きつけようとする頃には別の事柄が浮かび、いつの間にか最初に考えていたことは記憶の彼方へ消えてしまう。

なので、夏季休暇の課題として課されている読書感想文にも非常に手間取っている。
考えたことをすぐ文字にできないので、その差分がもどかしい。
頭の中でしばらく練ってそれを形として出すのが苦手なのだ。実際ブログも書いたら書きっぱなし、推敲も再読もしていない。

タイプライターなども存在しなかった昔に書かれた文章は、すべて頭の中で一度練られたものなのだと思うと感慨深い。

太宰治などの超個性的な文豪も、一度頭の中で整理整頓をしているのだ。不思議な気分になる。

―――

書くのは苦手な私だが、読むのは大好きだ。
小学生の頃は毎日二冊(それが図書室で借りられる限度だった)の本を読み、週末には図書館で何時間も読書に耽った。

携帯を警察から没収されていたこの一週間で読んだ本がこちら。

図書館で血眼で読みたい本を探しまくった。
一週間にしては割と読めた方ではないのだろうか。楽しかったけど疲れた。


以下読書感想文〜〜〜!!!!!みんな〜〜〜!!!!!ついてきてくれよな〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!

⒈その女アレックス

https://www.amazon.co.jp/dp/B00PLGP9HM/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_ikTABbA195A34

再読。
割と書店で平積みされている光景を見る。
実際ミステリとしても上出来で、続編もなかなかに楽しませてもらった。
この主人公アレックス、最初に突然買い物途中に男に襲われ監禁される。ここまで書くとアレックスが純然たる被害者のように見えるが、実際はそんなことはなく。
アレックスの壮絶な過去から物語は二転三転し、圧巻のフィナーレが待ち受ける。
私がこの作品を何度も読むのは、アレックスの人間性に惹かれているからだと思う。理不尽な暴力。自身の女性性に傷つき、それでもしぶとく生きていく。

少し話はずれるが、「パラダイス・モーテルにて」という短編も似たような女性が登場する。彼女は娼婦として生きていたが、自分を抱いた男を刺し殺し、新たな人生に向かって一歩を踏み出す。

ここまで書いてようやくわかってきたがわたしは強い女が好きらしい。
愛する女もめちゃくちゃ強いし…………………………………

ツァラトゥストラはこう言った

https://www.amazon.co.jp/dp/4003363922/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_ulTABbAA417C4

誰もが知る哲学書である。

私が人生に絶望していたとき、唯一の救いが哲学だった。
哲学本を読み漁り、著名人の論文に目を通し、昼夜問わず生と死、我々の存在について考えていた。

哲学にのめり込んでわかったこと、哲学だけはやめとけ。アホみたいに遊んで暮らそう。人は死に、全ては無に帰すのだから……………

⒋伯林蝋人形館

https://www.amazon.co.jp/dp/4167440091/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_4ATABbC5096E4

来ました我らが皆川博子

皆川博子さんの作品はどれも珠玉の名作ぞろいなのだが、いかんせん読むのに莫大な精神力を要する。
それに加え、私が長編は一気に読まないと満足出来ないたちなので、学校がある時はなかなか読めない。
高校に入学してから読めた皆川作品は、「少女外道」「総統の子ら(しかも再読)」だけである。非常に希薄としか言えない。
なのでこの機会にと「伯林蝋人形館」と合わせて借りてきた。

読了後感想。
皆川博子ワールドにどっぷり浸かってしまった。
彼女は本当に狂人を書くのが上手い。
読んでいるうちにこちらがその世界観と狂気に引き込まれていってしまう。
「クロコダイル路地」では「開かせていただき光栄です」の面々が揃っていて感激してしまった。そうか、ネイサンは小説家になり、アルは妻子を持ち…とまるで友人のようにしんみりした。
これはこれから皆川博子作品を読もうとしている方へのアドバイスなんですが、皆川博子作品は刊行順に読むのが一番です。すべてを間違えた私より。

堀辰雄

病院の本棚からかっさらってきた。
読む人もなかなかいなかったと見え、埃が層をなしている。
個人的には谷崎潤一郎の「神童」がわかる〜〜〜!!!!!だった。
決して自分が神童だとかそういうことを言いたいのではなく、自分が人より優れているという傲慢が段々偏屈に化して行く様子が自分と重なりすぎて辛かった。あと自分の逃れられない本能と醜形に絶望する様も。
哲学をある程度やった人は急にアート方面に行くのですが、その理由はこれを読めば大体理解できると思う。

堀辰雄は本当に女々しい文章を書きますよね…好き………

7 三月は深き紅の淵を

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洋書はまだ読み込みたいので飛ばしました。
めちゃくちゃ面白かった。
まず「解説 皆川博子」の文字からサイコーが確定しているだろう。
これだけでブログ一本かけてしまう。
この作品は非常にややこしく、続編(と言えるのか?)の「麦の海に沈む果実」も読む必要がある。というか読んでくれ。できれば黄昏の百合の骨も黒と茶の幻想も読んでくれ。

話は平々凡々な会社員鮫島浩一が会長主催のお茶会に招かれるところから始まるのだが、そこからのミステリが素晴らしい。
一章目でなるほど、こんな構成だったのかねと納得しているところに二章目が来る。これはなんなんだ?私は今何を読んでいる?足元の基盤が揺らぐような感覚に陥る。
そこからジグソーパズルのピースのように散りばめられる物語の端々。
段々全容がわかってきたところで、余韻を残しつつもきっちりと締める。

いわゆる「入れ子方式」の作品なのだが、「麦の海に沈む果実」も一緒に読むと更に楽しめることだろう。
時系列としては三月は深き紅の淵を→麦の海に沈む果実なのだが、逆の方が楽しめる気がする。
まあそこは個人の裁量に任せるしかない。
およそノート見開き三ページにわたる「三月は深き紅の淵を」考察は、いつかの機会にまた書くことにしようと思う。


―――


麦の海に沈む果実を読むことで、
「水野理瀬は夢を見ていた。」
の一文で爆音のビート深夜零時くらいのテンションになれます。

麦の海に沈む果実を読んでくれ。