人生のごった煮

完璧な心の平和

愛することは信じること


題字は諫山実生月のワルツ』より。
みんなのうた」で見た記憶がある方もいるのではないだろうか。
幻想的で蠱惑的なアニメーションに幼い私は惹き付けられたのだが、成長してから歌詞にも引き込まれ今ではすっかりお気に入りの曲である。
愛とは何ぞや、という問いにはこれで返すようにしている。
まずそうそう聞かれることはないが。
調べてみたところ今『月のワルツ』のアニメーション付き動画はニコニコ動画のみでしか見られないらしい。
機会があったら見てくれると嬉しい。




いろいろあり祖母宅で暮らすことになった。
その「いろいろ」について書いていこうと思う。
全て書くと長くなってしまうので所々端折るが御了承願いたい。

法務局で勤めている父が市外に異動となった。
ごてごてと言葉で固められた書状を見せてもらったが簡単に言うと左遷ということである。

ざまあみやがれ!!!!!!

元々地方の底辺大学出の父親が超難関大法学部卒のエリートたちをまとめている実状がおかしかったのだ。
以前諸事情あり父親の仕事場を訪れたことがあったが、九大法学部卒の20代女性が父親にいびられているのは見ているこちらも耐え難かった。

ざまあみやがれとしか言いようがない。

しかし内心お祭り状態の私にも弊害が発生する。

今まで食事毎に1000円札を貰っていた私だが、それが一月となればかなりの額になる。
それに高校進学にあたる学費なども捻出しなければならないから当然家計は火の車だ。

私を養えないのである。

正直一日1000円で十分なのだが、それだと最低限の生活を保証できないと断られてしまった。
私が勝手に1000円を使わずに取っておく分には良く、渡さない分には良くないらしい。
その上頑なに一緒の食事を取るという選択肢は選ばない。


ややこしいことだ。


そこで祖母に相談することにした。
元々家庭と学校しかコミュニティが無い私である。
家庭はもってのほか。
学校では精神病院にぶち込まれたという事実が出回っている上(最悪だ)、精神病特有の精神乱高下があるので築けた友人も数少ない(最悪だ)。
しかも両方とも信頼出来る人間がいないときた。

祖母しかいない。

早速祖母に電話を掛け家庭がヤバヤバだよ〜という旨のことを伝える。
私としてはただ愚痴を聞いてもらえればそれで満足だったのだが、祖母の口からは意外な言葉が出た。

「私のところで暮らしなさい!!!」

と。



もちろん祖母のところで暮らせたらそれ以上のことはない。
しかし祖母と母親の間ではかなりの軋轢があるのだ。
一筋縄でいくはずもない。
母親に電話を代わって、ハラハラしながら反応を見る。
思っていたよりも早く受話器を置いた母親に驚きつつも結果を聞く。


「あなた、あの人のところに行きなさい」






びっくりするほど一筋縄だ〜〜〜!!!!!!!!!!!!






この流れ見たことある!!!!!!

えっ?マジですか??卍???などとわたわたしている私をよそに母親はせわしなく定期券やら学費やらの話をする。

マジらしい。

あれよあれよという間に父親にも連絡が行き引越しはどうするか、通学に問題はないかなどの確認が始まる。

こういうところをちゃんとしてくれるのは本当に有難い。
甘んじてのびのびと過ごしていたら学校提出書類や通学通院経路を示したマップ等が渡され、引越しの準備が完了した。
本当になにもしていないのに全て解決してしまった。
すごい。



ここに書いた他にもいろんなことがあり、母親と祖母が直接対話することになった際

母親「やっぱりうちの子を渡すわけにはいきません!!!!!!」

祖母「なんですって?!?!?!」

という昼ドラのようなやり取りがあったりしたのだが割愛する。


そうこうしている間に引越しを終えた。
ベッドや戸棚などは置いていくことになったので、引越し業者に頼むこともなく、荷物(ほとんど本)を車に積んで祖母の家へとドナドナされた。



祖母の家は色が入り乱れた私の家と違いダークブラウンを基調とした色合いとなっている。
同じくダークブラウンのベッドと布団を購入し、引越しは完了した。


あっけなさ過ぎてどこかにボロが出るんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、滞りなく生活することができた。
私の家は物心ついてから7年間住んでいたのだが、祖母の家こそが実家のような感覚になる。
それだけ私にとって落ち着く場所だったということだろうか。
7年間住んでいたとはいえ昔の家に特に愛着も湧かず、むしろ離れられてせいせいした気分だった。


通学の面でも困らなかった。
通学時間が少し長くなったが元々昔の家でも通学に1時間超かかっていたのでそこまで気にならない。
学校が昔の家と祖母の家の中間辺りにあったのが良かった。



来た初日は食事の豪華さや洗濯の質の良さ、自分が家事をしなくていいという衝撃でいっぱいだったが2日経つと慣れてしまった。
自分はこの家で生まれ育ったという気までしてくる。



まだ学校提出書類や足りないものの買い出し、近くの病院探しやその他私が与り知らぬややこしいこと色々があるが、なんというかようやく楽に呼吸ができるようになった気がする。
決して楽でも楽しくもないであろう高校生活を乗り切るためにも、この環境に移れたのは良かったと思う。






今日は祖母お手製のマドレーヌを食べた。
祖母も決して若いわけではない。
この日々が長く続くことはないと分かっているが、できるだけ長くこのままでいたいと思った。






ちなみに祖母はベッドを購入する際大金を財布から軽〜〜〜く出していたのだが、その出処が気になり聞いてみた。
もし年金だったりしたら、出世払いとはいえ申し訳ない。




パチンコ屋でバイトをしているらしい。





たくましすぎないか、祖母よ。